和紙の歩んだ1400年を、6分くらいでお伝えします

四天王寺は紙の流通の原点

こんにちは、和紙屋4代目の大上です。
知れば、和紙がもっと面白くなる、そんなことを書いていければと思います。

今回は、1400年の和紙の歴史についてです。
考えてみると、1400年前に生まれたものが、現代にも使われているってすごいことですよね。
どんな歴史をたどってきたのでしょう。

四つに区切ってお話いたします。

紙漉き伝来~平安時代 国から貴族へ
鎌倉時代~江戸時代 武士から町人へ
明治時代~1990年代
現代

国家→貴族→武士→町人という流れで、1000年以上かけて、普及しました。

紙漉き伝来~平安時代 国家から貴族へ

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聖徳太子の建立した四天王寺

和紙は、西暦610年、朝鮮の僧がその製法をもたらしたとされています。
それ以前にも、福井県越前では、漉かれていた、などの説もあります。
和紙の歴史は、ただ長いだけでなく、その時々に合わせて進化を重ねてきました。

崇仏派と廃仏派の争いで聖徳太子が勝利し、仏教を世に広めよう、そんなときに紙漉きの技術が伝来しました。
聖徳太子は、仏教を広めるために写経用に和紙を使いました。偶然ですが、弊社は四天王寺のおひざ元で商いをしています。
和紙の流通の原点で、紙卸に携われることに運命的なものを感じています。

また、その後は国家が戸籍を管理するためにも活用しました。このころには、紙屋院という、国家の紙漉き所も作られていました。

平安時代には、紫式部などの女流作家の要望を満たすために、薄くて強い和紙を作る技術も発達、日本独自の技術である「流し漉き」が生み出されたのもこのころです。
和紙は、このとき、決定的に世界の紙づくりと違う、しなやかで強靭な紙へと飛躍を遂げました。

鎌倉時代~江戸時代 武士から町人へ

礼法折形は、鎌倉時代に隆盛した

礼法折形は、鎌倉時代に隆盛した

鎌倉時代は武家文化。武家の贈答用に、分厚くて力強い和紙が隆盛しました。
1束1本と呼ばれ、紙の束と扇を一緒に送る慣習がありました。
武力だけでは世の中渡っていけない、こういう贈り物をするような根回しの力がすでに求められていたんですね。
折形の文化が普及したのもこのころかと思います。

時代は進んで、江戸時代は出版が盛んでしたので、印刷する紙として、爆発的に町民に普及しました。
浮世絵、錦絵、黄表紙など、様々です。藩の財政を潤すために、紙漉きは比較的産業としてはじめやすかったので、全国に広がりました。
ちなみに、和紙は使用後にも漉き返すことが可能なので、捨てる必要がなく、非常にエコなものでした。

明治時代~1990年代 

オオウエの倉庫。全国から和紙を集める

オオウエの倉庫。全国から和紙を集める

明治に入ると、西洋の紙が入り始めます。
まだまだ手漉きで頑張っていて、生産量も伸ばしていたのですが、
文明開化により、新聞や雑誌も非常に多く必要になり、明治末期には機械で生産される洋紙がその生産性の良さで、需要を持って行ってしまいます。

その後、戦争がはじまり、強靭な和紙は、風船爆弾にも使用されました。
ほんとに?と疑いたくなる話ですが、偏西風に乗り、数発アメリカ本土に到着しているそうです。

昭和の時代は、機械漉き和紙がその需要を伸ばします。
オオウエが創業したのも、第二次大戦後すぐのことです。
当時、手すき和紙の業者さんたちは、生産性の向上を行うために、皆で出資して機械すき和紙のマシンを購入しました。

戦後のモノのない時期から、奇跡の復活を遂げる日本。
そんな中、紙の需要も増大していきます。百貨店の掛け紙、株券、団扇の紙など、とにかくよく売れたそうです。

増大するのは印刷需要。もちろん、印刷をしやすいような和紙の漉き方をしています。
ところが、印刷適性を上げると、どうしても表面が固く、つるつるになってしまい、印刷が得意になる代わりに、和紙らしさが失われていきました。

現代 時代に合わせて進化していく和紙

進化した和紙のメガネ拭き

進化した和紙のメガネ拭き

バブル期にもそれでよく売れましたが、バブルの崩壊後、世の中が不景気になると、和紙の販売は一気に落ち込みます。
和紙らしさが失われた和紙が、和の風合いを持った洋紙に、コスト面でのメリットから、シェアを取られるようになります。
和紙らしさ、和紙を使うメリットはなんなのか、ということが洋紙に比べてコストの高い和紙には問いかけられるようになりました。

手漉き和紙には一定のニーズがあります。もちろん淘汰もありますが、そもそもの生産量もそこまで多くはないので、受注生産という形で存続しています。
問題は機械漉き和紙です。先に記載した通り、印刷に向けて漉いた和紙は、平滑度が上がり、一般の方が見て、和紙とはわからないようなものが増えました。そうなると、ライバルが洋紙や特殊紙となり、勝てなくなります。事実、機械漉き和紙のメーカーさんは廃業も多いです。

和紙の消費と文化の下支えをするには、機械すき和紙の存在は不可欠です。
風合い、印刷の適正、そのあたりを兼ねた和紙の開発をこれからも続けていきます。

ただ、最近はユネスコ無形文化遺産や、東京オリンピック、それにナチュラルな暮らし志向の方も増えてきたので、和紙の魅力が再注目され始めている、という追い風の状態です。

今まで書いてきたように、和紙は時代ごとにその進化を遂げてきました。
offシリーズで使用している眼鏡ふきは、土佐和紙の技法でできていますが、アクリル繊維を使って漉いています。
それにより、レンズやモニターのごみがきれいになります。これも、進化した和紙の実例です。

和紙は常にライフスタイルに合わせて進化することによって生きてきました。
『歴史がある』ということは、すなわち時代のニーズに適合しながら、進化してきた、と言えます。
その歴史や文化をこれから作るのは、まぎれもなく今を生きる私たちです。
一緒に21世紀の伝統文化を作っていきましょう!

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